2009年9月6日放送 左手のピアニスト・舘野泉(4)『再びつかんだ音楽』

昨日からの続き。今日が最後です。それでは行きますよ。


湖畔にたたずむ小屋で、じっくりとピアノに向かい合う。

新しい作品に取り組む時、舘野さんは出かける場所があります。 ヘルシンキから車で4時間あまり。そこに舘野さんの別荘があります。

20年前、湖を望み白樺の木々に囲まれたこの場所を手に入れました。大大小18万余りの湖が点在するフィンランドは湖沿いの小屋を別荘として所有している家庭が珍しくありません。

敷地の一角に舘野さんがピアノを練習する場所があります。間宮さんやノルドグレンさんから届いた新曲はここで弾き、演奏会に向けて準備を始めます。大自然の懐に抱かれ、ひっそりとたたずむこの小屋でじっくりとピアノに向かい合ってきたのです。

舘野さん
「夏の間はずっと緑が豊かだし、緑の木立の間から湖がそばに見えるし、光は豊かだし。この小屋で弾きながら、首を伸ばせばそういう風景が見える。北国にひかれたのはそういうところもあるんですよね。自然がはっきりしてる。厳しい冬と、花が咲いて、光があって、いきいきと輝いている季節。その二つのコントラストがとてもはっきりしてるというのが僕は好きだったんです。」

「冬は何もなくなってしまう。水も凍って、動かなくなって、木から葉っぱが落ちてしまう。でもなくなった瞬間に死んだ世界のように思うけど、次に咲き出る、萌え出る、輝き出る準備をしてるわけですよね。その間も命ってのはずっと続いてるわけで。ある詩人が書いたように、夜があるのは素敵なことで、夜の間に自然は全てを洗い清めて、それを朝の光にまた差し出すって言う。それを拡大したような感じで思うんです。」

左手のピアニストとして、最初の演奏会。

脳出血から1年半後、館野さんは左手による音楽を自分のものとしていました。一つ一つの音の重みを確かめながら、1日2時間ピアノを弾き続けました。

舘野さんに初孫ができました。娘さんが男の子を出産したのです。舘野さんの名前を取って“ロメオ・イズミ”と名付けました。

舘野さん
「実はまだ実感がわかないですけど、でも可愛いもんですね。ちっちゃくて。手が僕そっくりなんだそうです。3(中指)と4(薬指)の指が同じような長さで。」


2003年10月。舘野さんは左手のピアニストとして最初の演奏会を長崎で行いました。演奏会場は旧香港上海銀行長崎支店記念館。

プログラムは、

・バッハ作曲ブラームス編曲のシャコンヌ(左手のための)
・スクリャービン作曲の左手のための二つの小品から、プレリュードとノクターン
・間宮芳生作曲の風のしるし。

体力にまだ不安があったため、3曲40分だけのプログラムしか組むことができませんでした。

しかし自分の演奏を待ち続けたファンに囲まれて、改めて人前で演奏する喜びを実感しました。

舘野さん
「病気になってから、人前で弾くのは初めてだったから、とてもドキドキしました。でもプログラムは普通の長さのは弾けないので、せいぜい30分か長くて40分。今はどれだけ弾けるかわかんない。でも長崎の人達は“プログラムなんかどんなに短くてもいいですよ。とにかく来て弾いてくれれば。いてくれるだけで嬉しいんだから”って。僕は音楽をすること、またピアノを弾けるという喜びのほかに、そうやって迎えてくれる人達がいてとても幸せでした。」

2004年10月舘野さんは再び長崎の人たちの前で演奏を行いました。この日の演奏は2時間を超えるまでになっていました。 11月、東京での1000人以上の聴衆を前にして行うリサイタルで舘野さんはこれまでの成果を確かめようとしていました。

舘野さん
「このさざんかが僕と同じ歳なんだそうです。僕の生まれた時からここにあるんです。これが元気になって、この頃ますます花が咲いてるから“僕はもう切らないよ”って言ってね。立派な木ですよね。これからまだまだ花を咲かすでしょ。僕もあやかりたいですね。」

今回演奏するのは間宮芳生さん作曲の『風のしるし』。そしてフィンランドで交流の深いノルドグレンさんが作曲した『小泉八雲の怪談によるバラード2』です。

“音楽を続けていけることほど幸せなことはない”。チェリストである父・弘さんから学んだ言葉が舘野さんの心に浮かんでいました。

舘野さん
「音楽に出会い、いろんな世界、いろんなところを歩いて、いろんな経験をして、そのことがまたみんな音楽に入ってくる。 音楽そのものが生きることなんですよ、僕にとっては。音楽が出来なくなってしまったということは、すごい辛い時期でした。 とにかく最初の1年半というのは何もできないといつ暗い気持ちにもなってしまったし。」

「でも左手で音楽ができるんだって分かった。その瞬間に“ちゃんとここに自分の左手と繋がって、人が生きているね”って。波のように広がっていく、光もある、そういう世界が全部ある、そのことが分かったんです。それでまた生きる喜びや、生きる意味をちゃんとつかめた気持ちがあるんですね。」

2004年11月。東京オペラシティ。会場には1600人を超える聴衆が詰めかけた。母・光(みつ)さんも訪れた。本番前、舞台袖で、

「はい。行きましょう。」

コンサートがはじまります。

放送されたのは、

間宮芳生作曲の『風のしるし〜オッフェルトリウム』から第1曲と第5曲。

後半のステージは、ノルドグレン作曲の『小泉八雲の怪談によるバラード2』から
忠五郎の話。

語りに女優・岸田今日子さんによる朗読が加わった。

演奏後、会場は拍手が鳴り止みません。

シベリウスが妻と後半生を過ごした家を訪ねる。

舘野さんはヘルシンキ郊外に向かっていました。そこにはフィンランドの国民的作曲家シベリウスが、妻と後半生を過ごした家があります。この家は妻アイノの名前をとってアイノラと呼ばれています。

都会の喧騒を離れ、深い森の中で作曲を続けたシベリウスは、少ない音でまるで静寂が語るかのような作品をいくつも残しています。舘野さんはその音楽と生き方に深い共感を覚えてきました。シベリウスが妻アイノと眠る墓もここにあります。

40年前に初めてフィンランドを訪れた時も舘野さんはこのアイノラを訪ねました。以来、舘野さんは自分に向き合いたくなった時、この地を訪れています。

舘野さん
「強く思い出すのは、父が亡くなった1986年5月18日。母から“今、亡くなったよ”っていう電話をもらって、 じっとしてられない気持ちだったんです。妻と息子を連れてアイノラに来て、父が一番好きだった シベリウスの曲を弾かせてもらって、そして帰った。それは忘れられない思い出ですね。」

「ここへ来て、泣くなんて思ってなかったんだけど、病気で倒れてから、 ここへ初めて来た。やっぱり言葉が出なくなっちゃった。本当にここは 僕にとってたくさんの思いがつまってる場所なんです。」

お家の中を見学する舘野さん。アイノラの一室にシベリウスが愛用したスタインウェイのピアノが残っています。

両手で自由にピアノを弾くことができなくなった今、以前、父親に捧げたシベリウスの曲はもう弾けません。しかし今は左手で音楽を奏でることができます。舘野さんは再びこのピアノに向かいます。弾くのはバッハ作曲ブラームス編曲の『シャコンヌ』。

曲が弾き終わって、

「ハァ。ハァーッ。」っと何度もため息。

舘野さん
「“ありがとう”って言うほかないや。ありがとうって誰に言うか分からないけど。すごいいい気持ちだ。よかった弾けて。」

左手のピアニストとして復活して今年で15年。この間、舘野さんのために書かれた曲は百を超えるそうです。

83歳になる今も年間50を超えるステージで演奏されています。またヴァイオリニストである息子のヤンネさんと、同じステージに立つことも楽しみだっておっしゃっていました。

さらに舘野さんは両手で演奏することができなくなったピアニストを支援することにも力を入れています。


以上で放送終了。

湖畔にある舘野さんの別荘は、ムーミンに出てきそうなそんな雰囲気でした。シベリウスが過ごした家で、舘野さんが弾いた祈りにも似たような素晴らしいシャコンヌ。あの場にいたかったです。音楽の中に静寂を感じるシベリウスの音。先日、放送されたアファナシエフさんの静寂と通じるものがあります。

2015年に中3で学生音楽コンクールを制し、日本音楽コンクールでも史上最年少の15歳で優勝したヴァイオリニスト戸澤采紀(とざわ・さき)さん。彼女も日本音楽コンクールに密着したドキュメンタリーで、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を弾く前にフィンランドを訪れたそうです。この雰囲気や静寂を肌で感じて、彼女は演奏されたんですね。

いつか行ってみたい。フィンランド。

それではNähdään huomenna!(と思ったらこのシリーズは今日で終わりだった…)なのでnäkemiin(ナケミーン。フィンランド語でさようならの意味)

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