2009年9月6日放送 左手のピアニスト・舘野泉(3)『再びつかんだ音楽』

昨日からの続きです。


J.S.バッハ作曲ブラームス編曲の『シャコンヌ』と出会う。

ブリッジの曲によって目覚めた舘野さんは、左手のためのピアノ曲を探し始めました。作品は80曲ほど見つかりました。

それらは戦争や事故、病気などによって右手を痛めたピアニストのために作られたものや、左手の技術を高めるための練習曲でした。しかし舘野さんを魅了するものは、ほとんどありませんでした。そんな時、舘野さんはある一つの曲に出会います。

それは両手で演奏活動していたころには単なる左手の練習曲として過ごしてた作品でした。バッハ作曲ブラームス編曲の『シャコンヌ』。この曲はブラームスがバッハのヴァイオリン曲『シャコンヌ』を左手で弾くピアノ曲に編曲したものでした。

ブラームスと同じ時代の作曲家シューマンの妻であり、名ピアニストとして知られたクララ・シューマン。このシャコンヌはクララに恋愛感情を抱いていたブラームスが、彼女に捧げた左手の練習曲だと言われてきました。

舘野さん
「たまたまクララは右手の具合を悪くしてた時にこの曲ができたので、そういう話ができたのかもしれないんだけれども、でもブラームスはこのシャコンヌという曲を素晴らしい曲だと思って、もう尊敬していて。そして自分がこんな音楽をかけたら本当にもう死んでもいいくらい、それぐらい尊敬して最高の音楽だと思っていたんですね。それをなんとかピアノで弾けるように彼は考えて。でもなかなかどうやっ書いていいか分からなくて、最後に思いついたのが左手だけで弾くってこと。それで左手だけで弾けばすごく単純だけれども、一番良い結果が得られるって。そのことをブラームス自身が書いているんですね。」

ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲のシャコンヌ。ヴァイオリンのソロ曲の代表的な作品として知られています。

わずか4本の弦を重厚に響かせるその調べは、バッハの時代から300年近い歳月が経った今でもヴァイオリン曲の最高峰として輝きを放っています。ブラームスはバッハの楽譜に込めた一つ一つの音を愛でるようにピアノに移し替えて行ったのです、

しかしヴァイオリンはピアノに比べ、同時に出せる音が少ない楽器です。この曲をそのままピアノ曲にしても和音の少ない旋律が続くだけです。単なる練習曲として見過ごされてたのはそのためだったのです。

舘野さんは単純でありながらも、豊かで深い世界を感じました。この曲を自分のものにするために4ヶ月が必要でした。

両手で演奏していた時には気づかなかった一つ一つの音が持つ表現の幅の広さに魅せられたのです。

舘野さん
「あ、この音が生きてきたなって見つけるのが大変なんですよね。この速さでいいんだろうかとか、この軽さとか強さとか、こんな力の使い方でいいんだろうかとか、ずいぶん長いこと探し求めて。それがだんだんはっきりしてくるんです。見えてくると、いろんな歌い方で音を繋いで、そしてどこで呼吸をつないで、という一つ一つのフレーズがだんだん生きてくるんです。それを言葉で言えっていうのはうまく説明できないんだけれども。」

「僕は長い間、弾けなくて。でも演奏音楽をしたいってことで左手の曲に目覚めて。バッハの曲に出会った時にやっぱり1音1音がもう愛しかったですよ。もし体が立派だったら案外と馬鹿らしいと思ったかもしれないけど、この音楽が愛しいっていう気持ちがすごく強かったですよね。大事に大事にする気持ちがあって、音楽と向かい合って。だんだん音楽の方も開いてくれたんだと思います。」

失っていた音楽を新たにつかみはじめ舘野さんは、人々の前で演奏したいと考えるようになっていました。しかしコンサートで演奏できるような左手のための曲はわずかでした。舘野さんは親しい作曲家に新たな曲を依頼することにしました。

フィンランドと日本人の親しい作曲家に左手のための曲を依頼。

ペール・ヘンリック・ノルドグレンさん。 舘野さんが親しく交流を続けてきた作曲家です。今回、舘野さんの依頼を受けて、左手のためのピアノ曲を作曲しました。協奏曲や交響曲など多彩な作品によってフィンランドを代表する現代作曲家として知られています。

弦楽器が専門だったノルドグレンさんは舘野さんと出会った頃、ピアノ曲はほとんど作曲していませんでした。舘野さんの依頼を受け、30年前にノルドグレンさんが作曲した本格的なピアノ曲。

「ピアノの専門家ではないからこそ、今までいない作品ができる。是非君に作って欲しい」

そう舘野さんから励まされ、取り組んだ作品でした。その後、ノルドグレンさんにとってピアノ曲は自らの創作の中心的な位置を占めるまでになりました。

ノルドグレンさん
「今回、左手のための曲を作ったのは舘野さんに頼まれたからですが、大きな困難に直面した舘野さんの最初のピアノ曲の続編を捧げたかったのです。今、私が作曲を続けられているのは舘野さんのおかげなのですから。」

舘野さんは、日本の友人にも左手のための曲を依頼していました。作曲家・間宮芳生(まみやみちお)さん。日本の古典音楽や世界の少数民族の音楽を題材にした作品を作って高い評価を受けています。

30年前、舘野さんは全く面識のなかった間宮さんに一本の録音テープを送りました。 そこには舘野さんがヘルシンキで演奏した間宮さんのピアノ協奏曲が録音されていたのです。

間宮さん
「相当技術的に難しいところがいっぱいあって、速い音型がいっぱいあるんだけれども、彼が弾いてる音楽は少しも無機的にならないで、全部の音にきちっと気持ちがこもっているっていう。僕が考えて音に込めた気持ちや考え方が、その本質がとにかくものすごくキャッチされていました。すごい人だなと思って。」

以来、二人の交流が続いています。間宮さんにとって、舘野さんは自分の作品を最も理解してくれる演奏家の一人です。

両手のための曲を書くよりも何倍も難しい。

2003年4月、倒れてから1年3ヶ月が経っていました。舘野さんから送られてきたファクスには「秋には演奏会を始めたい」と書かれていました。

間宮さん
「とにかく僕にとっても戦いなんです。左手で片手のために書くってのは。これは是非是非伝えたいんですけれども、舘野さんにも伝えたいですけれども、両手のための曲を書くよりも何倍も難しい。」

間宮さんにとって左手のピアノ曲の作曲は初めてのことでした。新しい分野に間宮さんは意欲的に取り組みました。実際に左手だけで弾きながら、作曲を進めました。しかし、間宮さんは思いのほか苦戦を強いられます。左手だけでは使える音の数が半分に減ってしまったり、広い音域を同時に弾くことができなかったりといった見解があったためでした。

そこで遠く離れた鍵盤を同時に弾けないことをカバーするためにペダルを駆使して、音を重ねていく工夫をしました。また素早い指の動きが必要な部分では、手のひらの一部を使うように指示しました。こうして左手だけで弾く限界を超えていたのです。

間宮さん
「つまり左手の曲っていうと、なんかピアノの左半分の方が楽に弾けるんだけれども、それじゃあ面白くない。それで最初に右側の高い音を弾いてる。手が逆ですよね、力学的に。それがちょっと大変だろうなと思いますけど。」

手の動きに配慮した曲を巡って、間宮さんと舘野さんは電話やファクスでやりとりを重ねました。

間宮さん
「やっぱり自分でピアノを弾くから、配慮しちゃうんですよね。“配慮しないで書こう”って思いながら、配慮してるんです。」

舘野さん
「間宮さん、ご自分でお書きになった後であんまり難しすぎるんじゃないか、こうやって書いたらすごく弾くにくくって、もしかしたら苦労するんじゃないかって。随分悩んだみたいで。それで最初の楽譜の後に代替え案を間宮さんが送ってこられたんですよね。」

間宮さん
「手の運動の流れがいいようにと思って少し書き直して、この方がスムーズに行くよっていうのを送った。でも“前のでも弾けちゃったから、そういう配慮はいらないよ”って。そう言われて両方弾き比べたら、断然前の方が面白いんだよ。配慮する前の方がね。」 

舘野さん
「僕自身は最初にもらった形で、とても大変だと思ったけども、自分で弾いてるとだんだんこう捉え方が定まってくるっていうかね、ちゃんと姿を見つけていって。これはいい形だなと思うところを見つけたつもりだった。」

間宮さん
「イマジネーションを大事にするために 全部自分が欲しい音を書いた。書いててそれがやっぱり彼は全部聞こえるから。僕のイマジネーションが聞こえるから。それを修正したものは気に入らないわけですよ。無理だって言うんじゃなくて、それじゃダメだっていう風に。彼はそこまで読めちゃってるんだよね。」

依頼を受けてから1年。5曲からなる作品が完成しました。タイトルは『風のしるし』 ネイティブアメリカンの神話にある風の神様をモチーフにした作品に、間宮さんは舘野さんへのメッセージを込めました。

間宮さん
「新しい命の誕生の瞬間というのは、風の神の体の中を通り抜ける。その通り抜けた時に命の営みが始まる。つまり呼吸っていうのは、風の神が出たり入ったりしてると信じてる。つまり僕は、この音楽の中に生き物すべてに命を与えてくれている風をなんとか表現したかった。そういう伊吹を舘野さんに送り込んであげられたらいいなっていうメッセージのつもりなんです。」

出てきました!シャコンヌ。チェロでも弾くことがありますね。何かを捧げるような、切ないような素敵な曲です。
それではNähdään huomenna!(少し言えるようになってきた!)

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