2019年9月6日放送 漂泊のピアニスト。ヴァレリー・アファナシエフ(1)『もののあはれを弾く』
アファナシエフさんは、旧ソ連時代にベルリンに亡命したピアニスト。日本の古今和歌集や徒然草などの古典文学にある『もののあはれ』に惹かれると言います。そこから生まれる音楽とはいったいどのような世界なのか。
作家でもあり詩人でもある稀代のピアニストの心に迫ります、といった内容。
私も普段は子供がいてにぎやか(やかましいとも言う)だけど、子供が寝たあとに岩合光昭の世界ネコ歩きを見ながら、ひたすらにさけるチーズをさいて、のんある気分を飲むときの静寂が大好きなので、アファナシエフさんの世界にグッと惹き込まれました。
以下、抜粋した内容です↓
森で迷子になり、静寂を感じた。
アファナシエフは年のコンサートを30回に抑え、それ以外は読者の時間。持っている本は3万冊。好きな本はダンテの『神曲』。お父さんは建築技師でお母さんは趣味でピアノを弾いていた。「3歳のときに森でおばあさんと散歩していたときに石に夢中になってはぐれてしまい、一人になった。静寂の世界に自分が溶け込むような、世界と一対一で向き合っているような感じがした。静寂の世界に信じられないような壮大な美を感じた。その瞬間に私の存在がはじまった。」
モスクワ音楽院に通っていた頃、伝説のピアニスト、ウラジーミル・ソフロニツキーの演奏を聞き、とても厳粛な空気で張り詰めていて、静寂から立ち上がる音楽に耳を傾けていた。その経験が生涯忘れられない。このときにピアニストになることを心に誓ったそうです。
アファナシエフが学んだ60年代のモスクワ音楽院は黄金時代を迎えていて、スヴャトスラフ・リヒテルやエミール・ギレリスが教授をつとめていた。
リヒテルの演奏に耳を傾け、ギレリスの指導を吸収し、腕を磨いて行きました。
「私はこの素晴らしいロシア・ピアニズムの伝統の中で学びました。生き生きとした伝統の豊かさを感じ、その伝統によって私は育てられたのです。」
1972年、ソビエトを代表して世界三大コンクールの一つエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場します。高い技術と瑞々しい感性で他を圧倒し、優勝の栄冠を手にしました。
「あの頃、ピアノで全て思い通りに表現できる自信がありました。私はピアノで歌ったのです。ロシア・ピアニズムはグランドピアノで歌うことにあります。人の声のような自然な響きでグランドピアノに歌わせるのです。」
ここでシューベルト『楽興の歌』第2番変イ長調を演奏。
歌による深化、一瞬一瞬を噛み締めるような余韻をたたえる晩年のシューベルトの深い情感を緩やかなテンポで浮かび上がらせる。
アファナシエフはロシアに帰ると母校モスクワ音楽院でしばしばレッスンを持ちます。
(レッスン風景)
「そんなに大げさに表現してはだめです。表情豊かに演奏する必要はありません。今の若い人はみんな大げさに演奏する傾向があります。首や体を動かして、音楽に没頭しているつもりになっては駄目です。もっと純粋に音楽に向き合って、感情的な仕草はしないことです。」
「イメージしてみてください。目の前に大きな空間があるんです。その巨大な空間の底の方から音楽が生まれてくるのです。まず目の前に大きな空間を感じて、その空間から音を生み出すのです。音楽は静寂の中から立ち上がり、静寂の中に戻っていくものです。フォルテシモで弾いている時でも静寂を感じ取ることが大切です。ギレリスやミケランジェリのような偉大なピアニストは静寂の意味を熟知していました。」
「ショパンを弾いてみましょう。ペダルを使い、大きな空間に音を満たしていくんです。」
情報統制でロシアの音楽家の本も読めない時代
西側に亡命する際、懲役7年の刑を宣告された。二度と故郷の土を踏むことはないと思っていたが、その後ソビエトが崩壊。帰国が許されるようになったが、今でも『苦しい時代に国を捨てた裏切り者』という冷たい視線を感じるといいます。
学生時代を過ごした60年代は表立った粛清は影を潜めていました。しかし依然として国家への忠誠は絶対で、盗聴や密告が横行。芸術家の活動も大きく制限され、重苦しい空気に包まれていました。
学生時代に通った図書館。ここにソビエト時代の情報統制を物語る場所があります。国によって読むことを禁じられた本、いわゆる禁書が膨大な数あります。
卒業論文のテーマは『宗教と芸術』でした。それぞれの宗教はタブーとされ、前衛的な芸術家の本も禁書となっていました。
20世紀を代表する代表するストラヴィンスキーやプロコフィエフの本も反社会主義的だとして禁書になっていました。
「もちろん憤慨しました。こんなに禁書があるのかと。ソビエトを代表する音楽家の伝記まで禁書にするなんて全く馬鹿げています。この怒りはソビエトという国への憎しみにまで発展していました。」
1960年代、モスクワの学生が徒然草に夢中になる。
学生時代を共にした同級生がいます。作曲家のウラジミール・マルティノフさんです。高校時代から音楽や美術を語り合った仲間です。二人は前衛文学を読み漁るなどしていました。当時二人で夢中になって聞いたというレコードを出してくれました。日本の能のレコードです。 未知の響きを聞きながら日本への憧れを募らせたと言います。
マルティノフさん
「能の音楽は新しい刺激とよりも、何か懐かしい故郷を感じさせました。深い親近感を持ったんです。その芸術的な響きは不思議なことに、どこかロシアの民衆の音楽と似ているのです。」
アファナシエフさん
「60年代のモスクワではオリエントブームがあったんです。東洋の国に精神的な巡礼をする。まずは中国、インド、そして日本にたどり着きました。その頃、徒然草の翻訳が出版されて、みなこの本の断片的なエッセイのスタイルに夢中になったのです。」
二人が愛読し、回し読みした吉田兼好の徒然草。日本の古典文学は国家の規制には触れませんでした。世を捨てて、魂の自由を得るという日本の思想がモスクワの学生たちの心を惹きつけたのです。
マルティノフさん
「私たちは徒然草を読みふけりました。みんなで集まって酒を飲むときに、この本を回し読みして、いろんな箇所を朗読しながら過ごすなんていうこともありました。短い文章の中に一つの世界観を感じられるのです。宇宙が丸ごと入ってるという感じがするのです。」
アファナシエフさん
「僕も徒然草に人生の道しるべを感じ取っていた。移りゆくものにもののあれを感じなければ。それは西洋の道徳や哲学よりもずっと大事な感覚だと思う。」
マルティノフさん
「世界広しといえど、日本ほど細やかな美的感覚を持った国はどこにもないだろうね。その美意識は世界でも類を見ないほど、研ぎ澄まされていると思うよ。この一瞬一瞬に対する心の動きに、瞬間そのものを大事にする『もののあはれ』の感覚は中国にもインドにもない日本独特のものだよね。」
最近、私が感じた『もののあはれ』と言えば銀杏の香りです。小学校の正門に植わっていて通るたびにプ~ン。これも今しかない瞬間(けっこうずっと臭うけど)です。
あとはアファナシエフさんのレッスンでおっしゃっていた言葉がすごく身に沁みる。
「首や体を動かして、音楽に没頭しているつもりになっては駄目です。もっと純粋に音楽に向き合って、感情的な仕草はしないことです。」
アファナシエフさんが言うから説得力がある。外見的な表面的なことではなくて、ちゃんと音に向き合えと。
ちなみにアファナシエフさん、モフモフの毛の猫を飼っていました。しばらく留守にしていたせいか怒られて、手を引っ掻かれていました。かわいい。猫飼いたい。明日に続きます。
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