2020年2月8日・15日放送『題名のない音楽会』ウィーンの頂点の音楽会2週連続スペシャル。

2週続けて題名のない音楽会で放送された『ウィーンの頂点の音楽会2週連続スペシャル』。

2016年まで45年にわたり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターだった、ライナー・キュッヒルさんを中心にウィーン・フィルの腕利きの主要メンバーら9名で結成されたウィーン・リング・アンサンブルの特集。


2月8日放送回の曲は、

♪1:「ジョッキー・ポルカ」
作曲: ヨーゼフ・シュトラウス
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル

♪2:オペレッタ「ジプシー男爵」序曲
作曲: ヨハン・シュトラウス2世
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル

♪3:ワルツ「酒、女、歌」より
作曲: ヨハン・シュトラウス2世
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル


2月15日の放送会の曲は、

♪1:「ラデツキー行進曲」
作曲: ヨハン・シュトラウス1世
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル

♪2:「エジプト行進曲」
作曲: ヨハン・シュトラウス2世
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル

♪3:「美しく青きドナウ」
作曲: ヨハン・シュトラウス2世
編曲: ミヒャエル・ロート
演奏: ウィーン・リング・アンサンブル

でした。


メンバーのチェロセクションはロベルト・ナジ(Robert Nagy)さん。

みなさん燕尾服で、めちゃくちゃ似合ってる。タイとカマーバンド(腰巻き)を同色に揃えている人もいれば、タイはワインレッドでカマーバンドはホワイトみたいな人もいて。

ちなみにチェロのロベルトさんはマスタード色の柄のタイに同色のカマーバンドでした。目立つしオシャレだし似合ってるし「めちゃくちゃステキ」の一言。


ヨハン・シュトラウス1世がお父さん。ヨハン・シュトラウス2世とヨーゼフ・シュトラウスは1世の息子たちなのですが、私は断然ヨハン・シュトラウス2世派。華やかで明るくて広がりがあって情景が見えてくるような。大好きなんですよね。心がワクワクします。


曲の合間のにメンバーがウィーンについてのトーク。

「ウィーンの第1区にはベートーヴェンやモーツァルトが住んでた家、第6区にはハイドンやブラームスが住んでいた家などがあります。」

「僕はベートーヴェンが交響曲『田園』を作曲した小川のそばに住んでいます。」

「私がよく行く家の近くのレストランはベートーヴェンが『第九』を作曲したところです。」

「僕の隣の家でヨハン・シュトラウスが生まれました。」

まさかのウィーンあるある合戦。

みんなウィーンあるあるを言いたくて仕方がない!という感じでした。というかウィーン凄い。音楽のポテンシャル高すぎる。さすが音楽の都の名はダテじゃないわ。


演奏された曲の中でやっぱり馴染みがあるのは

『ラデツキー行進曲』と『美しく青きドナウ』でしょうか。

毎年、この2曲はウィーンフィルのニューイヤーコンサートでも演奏されていますね。


ラデツキー行進曲は「1848年革命の最中に、当時はオーストリア帝国領であった北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍を称えて作曲された。(Wikipediaより)」ものです。


で、そのラデツキー将軍って誰よ?って話ですが、

(Wikipediaより)
「ラデツキー将軍とは1766年11月2日(現チェコ・トシェブニツェ地方生まれ – 1858年1月5日)は、オーストリアの貴族で軍人。ラデツキー(フラデツキー)家はハンガリー貴族の流れを引く。1785年にオーストリア軍に従軍。1788年以来、対トルコ戦争やナポレオン戦争など多くのオーストリアの戦争に参加し、1836年元帥、1849年から1857年までロンバルド=ヴェネト王国の総督を務めた。1849年3月23日のノヴァーラの戦いにおけるサルデーニャ王国軍への勝利によっても知られる。」

もう名前がかっこいいもん。ラデツキーだもん。ズルい。あと元帥、総督といった中2の頃の私が憧れそうな言葉だらけ。何なら今も元帥って呼ばれたいぐらい憧れてます。


「ヨハン・シュトラウス1世が1848年に作曲した『ラデツキー行進曲』は、同年に北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうラデツキー将軍を称えて作曲された。このように、ラデツキーはイタリアの独立運動に対しては苛烈な態度で臨み、1857年から58年にかけてエンリコ・タッツォーリら9人を処刑している、しかし民衆からはかえって反感を買うこととなり、彼らは「ベルフィオーレの殉教者」として独立運動の象徴となった。」

片方では英雄視され、片方では反感を買い、戦いってどうしてもそういうものになってしまいますよね。


「なお、ラデツキーがミラノから持ち帰ったカツレツが、ヴィーナー・シュニッツェルになったともいわれる。」

だそうです。


まぁ簡単に言えば『オーストリアにカツレツをもたらした人』ですね。(←教科書に赤線を引いてたら、先生に「そこは重要じゃないっ!」って怒られるタイプの学生でした)

さらに続きます。


(Wikipediaより)
「オーストリア史上もっとも卓越した軍人のひとりといわれるヨーゼフ・ラデツキー将軍。
当時イタリア半島では民族統一運動が盛んで、オーストリア帝国領であった北イタリアでは「ドイツ民族からの独立」を目指して激しい闘争が繰り広げられていた。1848年7月、ヨーゼフ・ラデツキー将軍の率いるオーストリア陸軍がこれの鎮圧に成功した。この勝利を記念するために、「イタリアで戦った勇敢なる将兵の賞賛と傷病兵への募金を兼ね、大勝利感謝祭」が8月31日に開かれることとなった。」

感謝祭といえば…。

TBSのオールスター感謝祭しか思い浮かびません。

赤坂ミニマラソン、ぬるぬる相撲…。


「シュトラウスはこの祝典のために新曲を依頼され、作曲に取りかかった。かつての楽団員で独立していたフィリップ・ファールバッハ1世の協力を得て、ウィーンの民謡を2つとり入れて、わずか2時間で完成したといわれる。」

これは昔TBSのオールスター感謝祭で、スタジオの誰かをサプライズで選び、番組内にジャケット撮影・レコーディングをし歌手としてデビューさせる企画で、その企画に抜擢されたのがまさかの司会の島崎和歌子さんで(もちろん本人は知らずのドッキリ企画)、「My life is…」(作詞:秋元康/作曲:織田哲郎/編曲:明石昌夫←豪華すぎるメンバー)でデビューしたRisky的なやつ!(←ちなみに名前のRiskyもスタジオ投票で決まった)

違う。たぶん全然違うよね。


「大変な好評を博したが、この行進曲によってシュトラウスは文句なしに君主制支持者のレッテルを張られることになった。以後シュトラウスのコンサート会場は、多くの士官と「国民自衛団」の市民で埋め尽くされたという。この行進曲のおかげで政府軍の士気は大いに高揚し、のちに政府側の人々からこのように言われた。」

「ウィーンを革命から救ったのは、ヨハン・シュトラウスである。」

↑どこにでもいるのよ。しょうもない陰口叩く人。無視無視。今もちゃんと作品が残ってるんだから凄いことよ。気にしない気にしない。


「この行進曲はやがてオーストリア帝国の愛国の象徴として扱われるようになり、息子ヨハン2世の『ハプスブルク万歳!』や、ヨハン2世とその弟ヨーゼフの合作による『祖国行進曲』など、ハプスブルク帝国を賛美するさまざまな楽曲にモチーフが採り入れられている。」

はい、でました。ハプスブルク家。世界史に出てくるよ。理系だからって世界史を選択したことないからって油断しない


「帝政が廃止された現在のオーストリア共和国でも国家を象徴する曲であり、国家的な行事や式典でたびたび演奏されている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートでは、1958年以降は2005年を除いて、毎年プログラムのアンコールの最後の曲として、必ず演奏される曲として知られている。曲中に観客の手拍子が入ることで有名だが、これはボスコフスキー時代に始まった慣習であり、作曲者自身の指示などがあるわけではない。」

ですよね。たまにお客さんの拍手が途中から「私たち、いつまで拍手したらいいのかしら…?」って戸惑ってる音になるもの。


「自筆譜は紛失したとみられていたが、1978年4月に破棄されて断裁される寸前だった楽譜の山の中から発見された。1987年当時楽譜を所有していたロイス・ベック教授は、オリジナルの楽器編成のほうが「現行のそれより香り高く透明で、軍隊行進曲というよりもロッシーニの序曲のように聞こえる」と発言している。ちなみに、このオリジナル版の『ラデツキー行進曲』は、2001年のニューイヤーコンサートの冒頭を飾る曲としてニコラウス・アーノンクールにより演奏されている。」

楽譜の山って…。ウィーンにある楽譜の山って、すなわち宝の山ぐらいの価値がありそうだけど…。江戸時代の古紙回収的な(当時のトイレットペーパー的な役割を果たしつつ、ヨーロッパに大量に輸出された陶磁器の包装に使われたのが浮世絵版画)。


「現在演奏されているもののうちニューイヤーコンサートで使用されている楽譜は、レオポルド・ベーニンガーが1914年に編曲したものを底本として、その後長年にわたって手を加えられてきたものであり、原典版はおろかベーニンガー版とも大きく楽器法や音の強弱などが変化している。ところが、編曲したベーニンガーが後年にNSDAPの党員になった経歴が問題視されたため、非ナチ化の一環としてベーニンガーの名前を除去する目的から、手を加えられてきた内容を追認する形で改めて「ウィーン・フィル版」として扱うこととし、2020年のニューイヤーコンサートから使用することとなった。」

だそうです。曲1つとってみてもいろんな歴史があるんですね。


そしてもう一つ毎年演奏される『美しく青きドナウ』。

これ実は私にとってすごく思い出深い曲なんです。


というのも小学校時代、担任の先生が音楽に熱心で、図鑑ぐらいある分厚いオリジナルの歌集を作成してくれて、それを片手に(図鑑ぐらいあるから片手で持てないんだけど)音楽の時間に歌をたくさん歌ってました。

日本の童謡もあったんですけど、クラシック音楽の日本語歌詞がついた曲が何曲か入ってたんですよね。

その中の1曲が『美しく青きドナウ』でした。


調べると作詞されたのは堀内敬三さん。

今でも歌詞を見ずに歌えますよ。


「遥かに涯(はて)なく ドナウの水は往く
美(うる)わしい藍色の ドナウの水は常に流れる~」


当時、ドナウ川がどんなのか知らないので、家の近くを流れている川(いちおう一級河川)を想像して歌っていました。土手にたくさん犬のウ○チがあって、河川敷には無許可で畑を作る人もいたけど。線路の下にホームレスがいっぱい住んでたけど。怖くてマラソン大会のときにそこだけ全速力で駆け抜けたけども。

何年か前に祖母がオーストリアにパックツアーで行ったというので、


「ドナウ川ってどんなところだった?きれいだった?」

祖母
「ぜんっぜん。汚かったよ。青くもなかった。」

って言われてショックを受けたのを覚えています。でもきっとヨハンの時代は青かったはず…。そう信じたい。


先生のオリジナル歌集により『美しく青きドナウ』の他にも

『ウィーン わが夢の街』も歌ったし、何ならそれも歌詞を見ずに今でも歌えるので、もはや私はウィーンっ子と言っても過言ではないかもしれない。


他にも『モルダウ』や『ます』も日本語歌詞で覚えてる。

いろんなことを思い出した回でした。やっぱり音楽っていいもんですね。先生ありがとう。


ちなみにTBSオールスター感謝祭は4月4日(土)に放送予定だけど、コロナの影響でどうなるのか…。


↓読みたいけど、コロナの影響で図書館がずっと閉まっている。再び開館したら予約するぞ。

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