2019年4月28日放送。ショパン・時空の旅人たち2 (2018年ショパン国際ピリオド楽器コンクール)『小さい頃のスパルタ教育と父親の人生。マ・シジャさん』

昨日からの続きです。

コンクールの出場者がピアノ選定を始めます。これはショパン国際ピアノコンクールでも同じでしたね。

このショパン国際ピリオド楽器コンクールは一次審査、ニ次審査、最終審査の三つに分かれています。一次審査ではそれぞれの課題曲に合わせ、1人3台までピアノを選ぶことができます。 選定会場に指導教官と共に現れた学生さんがいました。

その名はマ・シジャさん。彼女は中国出身の21歳。このコンクールを目標にフォルテピアノを始めて1年です。キャリアは浅いですが、様々な演奏会の場で腕を磨いてきました。ドイツにあるハンブルク音楽演劇大学ピアノ科に在籍するシジャさん。寮生活をしながら、ピアノの練習に打ち込む日々です。でもピアノを弾くことに様々な複雑な思いを抱いていました。

「ピアノについての思い出はあまり良いものではありません。特に小さな子供だった頃は先生はとても厳しくて。なぜピアノを弾かねばならないのか、演奏させられるのか理解できませんでした。」

「どのコンクールも、どの授業にも、どの演奏会にも常に恐れを抱いていました。」


故郷の中国でピアノを始めたのは4歳のとき。娘を音楽家にしたいという両親の思いで、厳しい英才教育が課せられました。いつも周囲のプレッシャーに押しつぶされている、そんなシジャさんの心を癒したのがショパンの憂いを帯びた旋律だったそうです。

楽器、特にピアノとバイオリンは上手ければ上手いほど、小さい頃からのスパルタ教育が課せられることが多々あります。特にアジアでは。もちろんスパルタで得られるものはたくさんありますが、失うものも本当に大きい。私はいつもそのことについて考えさせられます。

「当時の私は幼くて、ショパンの深い痛みは分からなかったけど、ただ私は彼の曲を前にして、泣かずにはいられなかったのです。多分、私自身の痛みを感じていたのだと思います。」



4年前から指導にあたる同大学のフベルト・ルトコフスキ教授。教授が所有するピアノが市内の博物館に展示されています。なんとそこが練習場!日本で博物館にある楽器で練習なんて考えられませんが、本人所有の楽器だからできることですね。

フォルテピアノをシジャさんにすすめたのもこの教授。手が小さいことで悩んでいたシジャさん。でもフベルト教授は『現代のピアノに比べ、細くて軽いフォルテピアノの鍵盤なら、 彼女の持つ繊細さがより引き出せるのではないか』と考えました。

フベルト教授
「シジャは繊細な心を備えた上に、何か輝くものがあって。それが歴史的なピアノではとてもうまく機能します。ただフォルテピアノは、モダンでは目立たない欠点を明らかにするのです。」

シジャさんの心の裏側にある迷い。
それは子供の頃からのトラウマです。12歳でドイツに留学した時、お父さんは営んでいた会社を辞め、ドイツに同行しました。その後、中国に帰国した今でも職を失ったまま。

「中国から持ってきたものはありますか?」との問いに「これは父のものでした」と履いていたビーチサンダルを見せます。もう7~8年前から履いているサンダルです。

父から届いた何枚もの手紙。どれも娘の近況を心配しています。

シジャさん
「父の手紙を読むのはあまり好きではありません。なぜかと言うと涙が止まらなくから。」

自分のせいで父は人生を犠牲にしたのではないか、その思いが頭を離れません。

シジャさん
「私は一人で暮らしていても、あまり孤独だと感じていません。でも父はもう働いていないので、友達もそれほどいません。両親によく言うんです。『もっと人と出会えば人生が豊かになるのに』って。私のことばかり考えないで。自分でちゃんと生活も整えて、料理もして、一人でやっていけてるから。私のことは心配しないで。」と泣きながらインタビューに答える。

ここでもう私、大号泣。シジャさん、そうやって親の人生を思いやるなんてめちゃくちゃ優しい。この言葉だけですごく心が繊細なのが伝わってきます。

私も確かに「子供がチェロをはじめなければ、経済的にも時間的にももっと余裕があったな~」と思うことはあるけど、むしろ子供がチェロをはじめたおかげで、素敵な曲と出会い、音楽を通して感動することもたくさんあったし、また素敵なチェロっ子仲間と出会い、自分の人生に新たな世界が広がったもの。

だからそんな風に思わなくても大丈夫だよ、シジャさん。大丈夫だよ、がんばれー。と大号泣。

続きはまた明日。

こちらもよろしくお願いします↓

にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ
にほんブログ村
     

同一カテゴリの記事一覧

コンクール関係 の記事