課題の追加。ピアッティの12のカプリース。

昨日は母の日でしたが、家族全員ど忘れしてて、いつの間にか終わっていました。

ええねん。そんなこと。記念日とかめんどくさいんでええねん。


そして昨日は新たに先生からチェロの課題曲の追加が。

新たに出された課題曲はピアッティの12のカプリースから第1番。

カプリースシリーズってチェロにもあるんすか…ヴァイオリンだけだと思って油断してたよ。


「あれ?ピアッティってヴァイオリニストじゃなかったけ?チェロの教本も書いてんだ。多彩だわぁ。」なんて思ってたらヴィオッティと勘違いしてました。


ピアッティの情報としてWikipediaで調べてみると、

「カルロ・アルフレッド・ピアッティ(伊: Carlo Alfredo Piatti, 1822年1月8日 – 1901年7月18日)は、イタリアのチェリスト、教育者。」

なるほど。イタリアのチェリストと言えば古くはボッケリーニから現代のソッリマまで。イタリアも行ってみたい国の一つです。

『ッティ』の文字がきたらそれはほぼイタリア系と思って間違いない。

『パヴァロッティ(テノール歌手)』
『トッティ(サッカー選手)』
『ヴィオッティ(ヴァイオリニスト)』私の中の三大ッティに、
本日『ピアッティ(チェリスト)』が新たに加わりました。


「ピアッティはベルガモのボルゴ・カナーレ(Borgo Canale)で生まれた。ヴァイオリニストの息子として生まれた彼は、最初はヴァイオリンの勉強から始めて後にチェロへと転向し、優れたチェリストであった大叔父のガエターノ・ザネッティの指導を受けた。2年間修業を積んだ後、劇場管弦楽団に入団して3か月演奏するが、給料の10シリングのうち半分は祖父の取り分だった。」

おじいちゃん…マージン取りすぎじゃ…下宿代?食費?光熱費?リネン・シーツ代?どういう内訳なのか気になるじゃない…ねぇ。


「ザネッティの死後、ピアッティはミラノの音楽院においてヴィンチェンツォ・メリーギの薫陶を受けた。その後、15歳で演奏会デビューを果たし、16歳で演奏旅行を開始する。技術は確かだったものの、彼は多くの客を集めることが出来なかった。その結果、ある契約の途中で病に倒れた際、彼は薬代を捻出するためにチェロを売却せざるを得なくなってしまう。自らのリサイタルにゲスト奏者として彼を招いたフランツ・リストは、借り物のチェロで行われたこの少年の演奏に衝撃を受け、彼に上等な新品の楽器を贈っている。ピアッティは当時有数のチェリストへの道を歩み続け、作曲した楽曲並びにそれらを演奏する感情に流されない質実剛健な演奏スタイルで人気を博した。」

リスト、やっぱり格好いいのよ。見た目だけじゃなくて性格もいいのよ。


ちなみに第1番は先生曰く、弓先で手首を使って弾く練習だそうです。


これでエチュードだけで3曲も未消化のものが。

発表する機会がいろいろとなくなってしまってるので、溜まる一方。

確かに時間はあるんですけど…課題に追われて全然休めない…。


とりあえず頑張って(←子供に向けてのエール)。


小学校からもポストに課題が投函されていて、今日は『プリント学習』と『自分にできること』という項目。

プリントを終えた後に、


「自分にできること?そうだ!」


と子供が思いついたことは、

・なわとび

・折り紙で飛行機を作ること

でした。

ダッシュして庭に向かって縄跳びをし、汗をかいたベタベタの手で飛行機を折っていました。


今日も平和なわが家です。

自粛生活も長引いて、ファーストシーズンのパスタ期からセカンドシーズンのどんぶり期に移行しました。

さらに長引いたらサードシーズンは何期にしようか…今考え中です。

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