2019年7月20日放送 SWITCHインタビュー 舘野泉×中村桂子(1)『弾けない時間がくれたもの』

7月20日放送のSWITCHインタビュー。ピアニストの泉さんと 生命誌研究者の中村桂子さん。なんと、お二人とも、御年83歳。

書こう書こうと思っていたら、もう4ヶ月前のオンエアだったんですね。まずい。師走が迫ってくる。お二人の優しく温かいトークがとても印象的でした。中村さんの言葉遣いもとても柔らかで美しく、素敵な方でした。それでは行きますよ。

生まれも育ちも自由が丘。舘野さんの生家。


世界中を演奏で飛び回る舘野さんは、現在1年のうちおよそ3ヶ月を妻と共にフィンランドで過ごし、残りを日本で暮らしている。築80年を超える家のリビングに置かれているのはスタインウェイのグランドピアノ。

舘野さん
「普段はここで一人で暮らしてるもんですからね。ご飯は自分で作るんです。食器も洗う。洗濯でも何でもします。」

中村さん
「本当ですか!お料理で得意なものは何ですか?」

舘野さん
「いや、お得意だなんてそんなこと言いません。何でも口から入れば。飲むものも焼酎、泡盛、ウォッカ。」

中村さん
「(舘野さんの家を見渡して)本当に懐かしい。子供の頃、こんな感じで暮らしてましたから。やっぱりこういうのを残してらっしゃるって素晴らしい。」

母はピアニスト、父はチェリスト、弟と二人の妹も全員演奏家という生粋の音楽一家に育った舘野さん。5歳でピアノを始め、東京藝術大学のピアノ科を首席で卒業した。

舘野さん
「この楽器がスタインウェイなんですけど、随分古いスタインウェイなんです。実は亡くなった妹が使ってたものなんです。やっぱり大事な楽器だから、練習に使っている。 妹のことも思い出したりしながら。平均して1日のうち3時間ぐらいかな、練習してます。音が立ち上がると、俺は生きているんだと思う。」

中村さん
「コンサートに伺うと、音に包まれてる感じがする。それが大好きで。こんなに近くで音が聞けたらどんなに幸せかって。今、ちょっと贅沢なこと思ってるんですけど。」

舘野さん
「こんなのはどうかしら」と言ってピアノを弾き始める舘野さん。

曲は『オルフェウスの涙』より、アリア(フランシスコ・タレガ礼賛)作曲 / 光永浩一郎

曲を弾き終えます。

舘野さん
「この曲は、両手で弾いてもいいんですけど、両手に分けて弾くよりも説得力がある。普通は左手が伴奏、右手がメロディーというのが一般的なんですけど、左手のピアニストはそれを一本でやる。メロディーが2本も3本も重なってるけど、そういうのも左手1本でやる。ひとつの手に固まってここへ出てくるという感じです。」

中村さん
「そこへ思いを込めてらっしゃるんですね。」

舘野さん
「凝縮感というか、密度が高い。」

中村さん
「なるほど。でも本当にピアノ全体が鳴ってるって言うのがよくわかりました。」

弾けない時間がくれたもの。

力強い映像と、豊富なレパートリーで世界を魅了してきた舘野さんを病が襲ったのは2002年。フィンランドで開かれたコンサートで、演奏を終え、立ち上がって挨拶をした直後、舘野さんはステージ上に崩れ落ちた。脳出血だった。一命は取り留めたものの、右半身に麻痺が残った。

中村さん
「前兆はお感じになってらっしゃいました?」

舘野さん
「前兆は感じてなかったんだけども、相当なハードスケジュールがずっと続いて、体が悲鳴を上げたんでしょうね。それで結局2年間はほとんど弾けなかったんです。2年間、音を出さなかった。それが素晴らしかったんです。」

中村さん
「つらくなかったんですか?」

舘野さん
「つらくなかった。たまに家内と“あれほど私たちの家で笑いに満ちていた時間はなかった”って笑って話します。」

中村さん
「いつも演奏旅行に行ってて、奥様と一緒にいる時間がとても短かったわけでしょ。それがいつもいてくださる。ご夫婦の人生の中でもちろん災難でしたけど、いい時間をもらったとも言えるんですね。なんか全部プラスにお考えになりますね。」

舘野さん
「そう思ってやってるわけじゃないけどね。」

中村さん
「なんか不思議な方。でもそういう風に生きられたら素晴らしいなと思いますね。」

舘野さん
「何十年か自分がやってきたことは自分の中に残ってる。自分でこうやってきたから、そんなことではなくならないぞ。音楽はいつでもあるんです。」

中村さん
「なるほど。それはでもやっぱり小さい時から、それがもう体に染み付いてたから、そういう風に思える。それはやっぱりご両親がくださったんですよね?」

舘野さん
「僕が小学校で呼び出されるんですよ。“お宅のお子さんは授業中にいつも外ばっかりポカーンと見て心はどこにあるのかしら。ちょっと発育が遅れてるんじゃないか。お宅のお子さんが書く習字の時間に紙からはみ出してる子をお書きになる。おかしいんじゃないか”って。母は“はみ出してるくらいの方が面白い”って。」

中村さん
「わー!それでこういう素敵な方が育ったんだわ。やっぱりお母様がえらかったんだ。」

運命を変えた1曲

脳出血で倒れてからもピアニストとして復帰を願っていた舘野さん。リハビリを続けたが、1年たっても右手は動いてくれない。もう自分はおしまいなのか、一年ほどが過ぎ、諦めかけた頃、大きな転機が訪れる。

きっかけは自宅のピアノの上にそっと置かれたある曲の楽譜だった。イギリスの作家ブリッジが戦争で右腕を亡くした友人に向けて書いた左のための曲『三つのインプロヴィゼーション』。楽譜を置いたのはバイオリニストの息子ヤンネさん。ピアノが弾けなくなった父を思い留学先のアメリカで探してきたものだった。

ヤンネさん
「自分も音楽家なので、弾けない時はすごくつらい。僕も少しだけそういう経験があるんですけど、父の状態は深刻だったので。またステージに戻れるかどうかというより、ピアノが弾けたらいいな、自分の音が出せたら絶対に元気が出るってと思って。」

舘野さん
「ピアノの上に置いてあった楽譜を見てみて、その瞬間から世界が全部変わった。左手でやればいいとかなんとかそういうことじゃなくて、理屈じゃないんです。本当に考えがパッと変わっちゃったんですよね。翌々日に作曲家の間宮さんに FAX を送って“僕はこれから1年後に東京・大阪・札幌・福岡・仙台で復帰します”と。」

中村さん
「まだ弾いてらっしゃらないのに?」

舘野さん
「はい。それで“復帰しますけど、左手のための作品は数が少ないから何か新しい曲を書いていただけませんか?”」

中村さん
「見ただけでパッと曲を頼んでしまうっていう、舘野さんらしいと思いますよ。普通はちょっと考えますよ。」

舘野さん
「自分でも何だかわかんないけど。パッと自分の今行きたいところ、やりたいことが見えるそれをできるかできないかということは考えない。」

中村さん
「そういうことか。そこがやっぱり楽天家でいらっしゃるのかな。いつも自分のやりたいことが見えるって言うそれは分かる気がします。それが一番大事ですよね。この頃、社会はね“求めることをやれ”とか色々言って、自分がやりたいことをなかなかやらせてくれないじゃありませんか。多様性という言葉使いますけど、そんな難しい言葉じゃなくてそれぞれがそれぞれにいいものを持っている。」

舘野さん
「こうでなきゃいけないみたいになると自分もつらくなりますからね。」

舘野さん、行動力&即決力がすごい。また亡くなられた母親の光さんの言葉がけも素晴らしいです。私ももっと子供を褒めてこう。明日に続きます。

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