2019年5月25日放送 Eテレ・SWITCHインタビュー 指揮者:大野和士×作家:原田マハ(3)『内戦の中、毎週の定期演奏会。』
- 2019.09.25
- SWITCHインタビュー 達人達(たち)
- SWICTHインタビュー, 原田マハさん, 大野和士さん
指揮者、大野和士。30年以上ヨーロッパを拠点に世界の名だたるオーケストラでタクトを振ってきた。
2015年からは日本で東京都交響楽団の音楽監督を務めている。さらに去年、新国立劇場の芸術監督にも就任した。
後半の舞台は、忙しいリハーサルの合間を縫って新国立劇場のホワイエで行われた。
マハさん
「実はね私、指揮者が登場する小説をだいぶ前に書かせて頂きまして。書いておきながら、全然指揮者って何をする人なのか、はっきり分からずに書いてしまったんですね。だから今日はすごくいいチャンスだと思って。ご自身でオーケストラをまとめていく上で一番気を使っていると言うか、力を割いているっていう何か秘訣のようなものってあるんですか?」
大野さん
「自分の仕事というのは、作曲家のいわゆるオリジナルの音符が書いてある、そこにはありとあらゆる音の詰まった宝石箱みたいなのがスコア。そこを解読していくっていう作業をしなきゃいけない。ベートーベンはなんでこんな音を書いたんだとかね。作曲家もその時々の色々な成長過程があったり、色々な人生の悩みがあったりですね。そういうのは作品と同時に研究する。その人の人生も。生まれた時代を見つめ、向き合ってですね。」
「ベートーベンで言うなら『運命』があって『田園』があって、それは同じ時期に書かれてるわけですよ。完全に書いてる時期がダブってるんですよね。これが終わったから、これが書けたっていうそういうのじゃなくて。どういう形で書き分けて言ったんだろうなっていう。そうなってくるとよりディティールに入ってきて、例えば田園は小川をせせらぐ音って言うか、メロディーが小川なんですよ。そしたら別の流れが来るんですよね。ベートーベンって偉いな。そしたらその次には『運命』でしょ。パパパパしかないんですよ。人の運命ですね。『運命運命運命運命だー!』ってのがベートーヴェンの5番ですよね。」
大野さん
「最初はそれを読み解く紐が見つけられない。よく言われてるようなことしか頭の中に思い浮かばないんだけど、だんだんそこにね『あー、なるほど。こんなことか』って言うね、自分自身がそれを見つけたっていう喜びが訪れる時があるんですよ。それがね、譜面を読んでいくと、自分の中でこう結実してくる。何か一本の線みたいなのが見えてくる。これを共有したい。」
マエストロは自分が見つけたことをどうやってオーケストラと共有していくのか。大野が音楽が音楽監督を務める東京都交響楽団のリハーサルを覗いてみた。演奏を止め楽団に指示を出す。
大野さん
「これはG、Es、G なんですね。人生そう甘くないということです。」
山本友重コンマス
「Dって書いてある。」
大野さん
「あー、そうですか。いやオリジナルでGと書いてあるので、ぜひブルックナーの意を汲んで。Wärme(ヴェアルメ・ドイツ語)と書いてあるので暖かく。このWärmeというのを見ると、目をつぶっても G、Es に行きたくなるという、そういう心理を。」
大野さん
「それからファーストセカンドバイオリン。ここは長い弓を使って、天から降りてくるように。」
そしてリハーサル終了。
マハさん
「大野さんがこうオーケストラのメンバーに伝えるときに、いくつか印象的な言葉で伝えてらして。私は言葉の人間なので特に言葉に敏感に反応したんですけど。大野さんが指示を出した前後で音が明らかに違うんですよね。ああいう言葉っていうのは指示を飛ばしながら、ふっと出てくるもんなんですか?それとも考えて出てきてるもんなんですか?」
大野さん
「自分の中でどれだけその作品と長く付き合ってきたか、あるいはパッとイメージして自分の中に照射されていく音の構成が、 煮詰まるほど自然な言葉の置き換えになってくるというような感じがしますけどね。決してそういう言葉を探していても、最終的には音なので、やっぱりどういう音になるかということに対しての自然な誘い、それが一つ指揮者の大きな役割ですよね。」
マハさん
「それを共有しなきゃいけないって、ディレクションを伝える時に言葉で言わざるを得ないっていうのはあるかなと思ったんです。この前もお話ししましたけど、絵は見ればそれで終わり、音も多分聞けばそれでいい。でもそれをあえて言葉にして伝達しようとしたり、シェアをするために何か表現に置き換えてみるってことができるのが人間なんだなと。人間の幅の広さなんだなっていうのは、この前のリハーサルに立ち会わせていただいて感じたところです。ものすごい感動的でしたね。でもやっぱりオーケストラの皆さん方の理解力というか深さと言うか、皆さんお持ちですよね。」
大野さん
「そうですね。音を出す人達っての楽器のプロフェッショナルの集団。自分の中から出てくるその音楽に対しての感動そのものって言うんでしょうかね。それをもとにして、こういう音。そして最終的には皆さんが個人それぞれのタイミングで一番いい音を出していく。スコアは散りばめられた宝石と先ほど言いましたけど、その宝石の輝きが分かれば分かるほどみんながそれに対してどんどんどんどん反応して。」
マハさん
「呼応する感じなんですね。響きあって。」
大野さん
「そして最終的には、その一人一人の感覚がこうばっと開いてくるって言うんでしょうかね。感覚が研ぎ澄まされていて、その宝石をもっと磨こうと一人ひとりの意思になってくる。解放されたこのスーパー集団みたいなのがオーケストラの極地。」
マハさん
「すっごいよくわかります。」
大野和士は1960年東京に生まれた。3歳の頃にベートーベンの交響曲第3番『英雄』に出会い、大きな衝撃を受けたと言う。
レコードを聴きながら箸を持ち、指揮の真似事をするほどクラシックのとりこになっていた。高校卒業したあとはプロを志し、東京藝術大学・指揮科に入学する。
マハさん
「大野少年が段々と自分なりのスタイルを見つけて行かれたと思うんですけれども。」
大野さん
「オーケストラはいつ指揮できるんだろうということ思った時にね、なかなかそういう場がない。どうしたらいいんだろうっていうようなことで悶々とする日々を経てね。それと同時に、とにかくプロフェッショナルの指揮者の人達ってどういう練習してるんだろうと思ってね。いろんなオーケストラのいろいろな指揮の先生達が振ってる練習を見に行く。指揮者になるプロセスとしてとても大切なことだった。」
「で、そういう所に行くと、大体同じ年代の指揮者になりたい仲間たちがみんな来てるんですよね。だからライバル意識なんか芽生えて。あの先生こうやったとか書きながらね、隣の方を覗き見ながら『ライバルのこの子は何に気付いたんだろうな?』とか思いながらね、聞いてるんですよね。そういうのがどんどん蓄積されて、それでいっぱい自分の中に蓄えていくっていうね、そういう時期がありましたね。それでもなかなか指揮っていうのはできないんですよね。」
マハさん
「それかだいたい20代ぐらい?」
大野さん
「そうですね。20代の半ばってのはそういう感じですよね。」
なんとか指揮台に登りたい。25歳の時に活動の場を求めて、ヨーロッパへ渡った大野はコンクールに挑む。
大野さん
「将来、自分は立派な指揮者になるっていう人たちが集まってくる変なコンクールがあるんですよ。もうやる気だけの人たちが集まって来るっていうね、へんてこりんなコンクールがあるんですよね。それで賞をいただくと、ご褒美としてオーケストラの演奏会の権利を10回あげますよとかね。そこで一等賞ではなかったけどファイナリストには残った。その中の一人の審査員の一人がクロアチアのザグレブ・フィルハーモニーというオーケストラに呼んでくれた。それでそのオーケストラとの関係がそこから深まって。『私たちの国に来ないか?住んで一緒にやらないか?』という話になったんですね。」
マハさん
「それは二つ返事で答えられたんですか?」
大野さん
「その時は嬉しかったですね。やっとこれで一歩二歩進める可能性ができたのかな。そういう感じですね。」
ザグレブ・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者となり、本格的に活動を始めた大野。その後クロアチアで紛争が勃発(クロアチア紛争、1991-1995)。激しい戦火の中、大野はタクトを振り続けた。
マハさん
「ちょうど時代的に紛争があったり、なかなか難しいエリア、難しい時代だったと思うんですけれども、そういうことは特に影響はなかったんですか?」
大野さん
「転機になった時期だった。内戦状態になってですね、練習してますでしょ。そしたらある時、爆撃機がバッと飛び立ったという情報が入った。途端に空襲警報が鳴るんですよ。楽員さんからね『ちょっとちょっと和士。ちょっと逃げよう。一緒に来てくれないかということでね。行った場所が防空壕だったんですよ。」
「ところがそのオーケストラがね、それから2年半ぐらい内戦続くんですけども、1回も定期演奏会を止めなかった。止めずに毎週毎週金曜土曜といつもやってるんです。もう自分の中で忘れることはできない体験の1つにですね、その内戦の期間にね、普段やっている演奏会の時より、いっぱいのお客さん。満員のお客さんを迎えていた。 寒い冬、オーバーに身を包んで、そして何もしゃべらずに黙々とみんな集まってくるんですよ。集まった会場は立ち見の席も無いぐらい。毎回毎回それでね。そして演奏するでしょう?演奏した後もわっと歓声が上がってね。」
オーケストラのメンバーはクロアチア、セルビア、オーストリア、アメリカなど様々な地域から来た人々。指揮者は日本人。そして聴衆はクロアチアの人々。
紛争が行われている中でも、国籍や人種の壁を越え、みんなが音楽で一つになっていた。
大野さん
「これは今でもね本当に私の一つの音楽を何でやっているのかということにつながるですけれども、なぜその時に普段よりも多く人々が集まったんだろうなと考えた時にですね、今この状況下に置かれた人達っていうのはその場に来て感動することによって人間である証明と言うかですね、人間であることの喜びを感じることによって、この困難な時期を乗り越えようと。それは皆さんがきっかけにされていたんだろうなということを思ったんです。強く思ったんですね。そのためにこそ音楽家であり続けたい。それから音楽を提供していく強い覚悟を持って、これからも生きていきたいというふうに思ったんですね。」
東京都交響楽団のリハーサル風景で、チェロセクション古川展生さんの後ろ姿が映し出されて、背中からセクシーがだだ漏れでした。
明日は『世界初!日本語による四重唱オペラに挑戦!』の記事です。それではまた明日。
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